利便性を上げるほど不便になり、知識が付くほど精神はすり減る

2017.03.31 Friday

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    JUGEMテーマ:つぶやき。

    転職活動の中、体重が減ったおかげというかせいというか、スーツが合わなくなった。

    前々から、スーツという服には疑問しかなかった。

    何故、日本のような亜熱帯気候でこんな暑苦しい服装をするのだろうか。

    暑苦しい服装であるスーツに”涼しい”をウリにしている広告を見ると、

    フリースでモッコモコの服を限界まで薄くする、みたいな無駄な努力を感じる。

     

    先日、父親と話す機会があり、スーツの話もしたところ、

    「もうスーツを着る仕事はしないだろう」と言いつつ、

    「自分のはブランド品だから結構いい値がする」と話が続く。

    昔は今以上に拘っていたらしく、ほとんどがオーダーメイド品であったとか。

    そこで、私が先述した疑問を感じなかったのかと話してみた。

     

    ・発想のスタートが違うが、ゴールは同じ

     

    「スーツは暑いもの。世の中はそうなってる」というのが父の話。

    なるほどなー、と感心する。

    暑いものだから、なるべく暑くない、涼しいをウリにしたスーツをどんどん買う。

    どうせ着るなら利便性の良い、格好の良いものを着ようというワケだ。

     

    私ならまず”スーツとは本当に着るべきものなのか”から思考が始まる。

    着るべきか否かを考えるなら、利便性や文化を考えなければならない。

    利便性で言えば、先で話した通りスーツを着る理由は存在しない。

    だが文化で考えれば、日本のほとんどのビジネスシーンにおいてスーツは必須である。

    そして、私は今回は自営業ではなく、会社に勤めたいと考えている。

    利便性を追求したいのは山々だが、私が下に就こうという以上文化側は変更出来ない。

    そもそも、文化を変更するのは独裁者でもない限り難しい。つまり疑問に思ってもそれを正す能力を持っていない。

    となると、優先するべきは文化。利便性の方向はまさに涼しいスーツを買う事で解消出来る――と結論付ける事が出来る。

     

    さて、ゴールは同じになったがスタートが違う。

    そして、スタートが違う方が面倒臭い事になっている。

    最初に疑問からスタートしたが故に、スーツの意味や文化を考え、情報を検索しなければ納得が出来ない。

    何故高いスーツを買うか? 何故フリースを極薄にするような真似をする必要がある??

    疑問を抱いたままでは、買うのを躊躇う。もっと言うとどのくらいの値段帯を買うがか決められないのだ。

     

    何より、疑問を抱いても、その疑問が確信となったとしても、それを変える事が出来ない。

    今回で言えば、スーツをこの世から滅する事など出来ないのだ。

     

    ・疑問を抱くのは賢いのか

     

    私はこれについて、自分で言うのも変だが疑問を抱く方が知能レベルは高いのだろうと感じる。

    疑問を抱いた結果、多方面から物事を見なければ納得出来ず、納得する事は結果が同じであっても

    ”否定の否定”となり、その思考そのものは無駄とは言えないからだ。

     

    だが、疑問を解消するには時間と労力が必要である。

    あえて言えば、知識があるからこそ手間が増えている。

    手間が増える事が、賢い行為なのかと言えば――社会的には違うだろう。

     

    私達は例えばSNSで情報を共有する事が出来る。

    Twitterを良く見るが、たくさんのRTがあるツイートには知識になる事が書かれている事も多い。

    数年前と比べただけでも、手にする情報量の多さは比較するまでもなく増大している。

     

    すると当然、様々な疑問が生まれるだろう。

    今回のスーツでもいいし、最近で言えば政治問題や、それを取り巻くマスコミの報道姿勢でも良い。

    つまり、私達は情報に触れれば触れる程、それに納得する為にエネルギーを使う必要が出て来るという事だ。

     

    スーツは暑いもの、という一言で納得出来る人は、知識量としては乏しいのかもしれない。

    しかし、では生きやすいのはどちらだろう。

    その現実が理屈では間違っていたとしても、自分に変える能力がないのならば、結局受け入れるしかない。

    常に自分を納得させる為に脳を使う私達の世代や、もっと若い世代が摩耗するのは当然なのかもしれない。

     

    ・利便性を上げるほど不便になる

     

    もはやケータイという言葉すら死語に近い昨今。

    携帯電話の普及は間違いなく、生活の利便性を向上させた。

    どこにいても人と連絡を取る事が出来るし、スマホなら読書もゲームも片手間に出来るようになった。

     

    しかしその結果として、私達はどこにいても携帯電話を携帯する事を事実上、強いられている。

    何をしている時でも電話が鳴ると出るか出ないかの選択を迫られる。

    スマホを歩きながらや車を運転しながら使っての事故が発生した。睡眠不足に悩む人も少なくないようだ。

     

    RPGゲームを買おうとして、目新しいシステムがあるとしよう。

    例なので全然目新しくないが「スキルを自由に選択して好きなキャラが作れる」とでもしておこう。

     

    一見するとプレイヤー側に極めて有利なルールであるが、果たして本当にそうだろうか。

    選ぶスキルによってはゲームシステムとの兼ね合いでどうしても強弱が生まれる。

    あるスキルを持つキャラはとても強いが、それを持たないキャラは弱いかもしれない。

    シナリオはクリア出来るが、隠しステージはどうだろう。弱いキャラで本当にクリア出来るのか?

    マルチプレイ可能なら、とあるスキルを持たないキャラは足手まといになるのでは?

    人によってはwiki等で先に使用感を調べたりするかもしれない。

     

    さぁ、これが本当に素晴らしい事なのだろうか。

     

    ・スーツに対する認識を遠回りして改める

     

    私はスーツを着るような仕事をしたいと思っているので、今回納得するべく色々調べ、納得した。

    もしかしたら他の事で私も、皆も、同じ結論なのに遠回りしているのかもしれない。

     

    知識があって遠回りするのが全くの無駄である、とは言わない。それもまた勉強だろう。

    私が言いたいのは勉強する気もないのに、それをしないといけない環境に置かれる危険性だ。

    頭を使いたい事に使うのは楽しいが、そうでない場合は苦痛でしかない。

    自分の感情と逆の事をしている時、人は抑うつ状態になる。

     

    こんな事だけが理由とは思えないが、精神病が先進国にしかないという事も妙に納得出来る。

     

    嫁からの又聞きだが、誰かが言ったそうだ。

    「知識は一方通行。知ったが最後、もう後戻りは出来ないと。

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