うつの人こそ、バイアスがかかってない

2017.02.09 Thursday

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    JUGEMテーマ:つぶやき。

    このブログの最初に書いたバイアスの話や、ネトラジでちらっと触れた話。

    ちなみに、実は今回の話は書く必要がなくなった。

    何故なら、すでに余裕でこの事を研究してる人がいて、しかも現象に名前まで付いていたからである。

    「抑うつリアリズム」と言うらしい。見てみたら、確かに私の聞いた事ある話もあって納得してしまった。

    しかしまぁ、書く気になって書いてるのだし、このまま書いてみよう。

     

     

    ・事実をありのままに受け止めているのは、むしろネガティブな人

     

    うつの人は、とまとめて呼ぶと違うのだが、うつ的な傾向を持つ人の中には

    驚く程に真実をそのまま、的確に受けてしまう人がいる。

    一見すると素晴らしい技術である。何の認知の歪みもなく、真実をありのままに捉えている。

     

    しかしそれ故、何か物事が起こった時に、そのダメージを軽減する事なく受けてしまう。

    例えば、最近流行りのインフルになったとしよう。

    精神的に健康な人だって、もちろん辛いし残念に思う。

    しかし、同時に良い事も連想して心のダメージを軽減する。

    「結果的に仕事が休めるいい機会」「病状が落ち着いたら積みゲー消化も出来る」――etc

    こうして、インフルになったという悲しい事実を、あえて言えば歪めて認識する。これもバイアスだと私は思う。

     

    ところが、うつ傾向の人でこれらの歪みを一切持たない人からすれば

    「インフルになって、健康面と給料面で損をした」という事実だけが残る。

    インフルになった事に付加価値など本来ありはしない。

    どうしても仕事を休みたければそう動けばいいし、積みゲーだって消化しようと本気になれば何とかなるものだ。

    そもそも、インフルになった事とそれらとは直接的に何の関係性もない。インフルになるという事実に意味はない。

     

    ・意味のない不幸

     

    こうして、うつ傾向の人は真実のみを受け止め、辛くなる。

    真実だけ、というのは人に優しくない。

    自分に落ち度のない不幸がある度に、ただ損をする現実がある。

    インフルを人にもらったのなら、そいつのせいで何の落ち度もない自分が酷い目に合っているという事になる。

    法律では裁けないグレーゾーンな罪を押し付けられたと感じる。

     

    彼らに「物事の悪い方だけを見るな」と言うのは筋違いである。

    彼らからすれば、そんな事を言うそいつの方が信用出来ない。真実をありのままに受け止めていないからである。

    彼らにとってインフルとは損害である。

    もちろん、健康な人にとっても損害ではあるのだが、そこから余計な関係性を引っ付けて受け止めている。

    健康な人にとっての「インフルにかかった」と、うつ傾向な人の「インフルにかかった」は、似て非なるモノなのだ。

    しかし、起こっている出来事は同じ。一方はあっさり受け止め、もう一方は怒りや悲しみを憶えている。

    一方は「何故そこまで思う事があるのだろう」と思うし、もう一方は「何故あんなにケロッとしてるんだ」と思う。

     

    こうなると、真実をありのままに受け止める事が、果たして本当に良い事なのかと思える。

    というのも、人間というか動物は生きていく上で理不尽な出来事は山ほど遭遇する。

    大体、理不尽という認識も変かもしれない。

    法律が何故あるかと言えば、理不尽を少なめに抑える為でもあるワケで、罪に問えない自分への不幸はアホ程起こる。

    その度に心が引きずられていくのは、その人にとっても辛い。その周囲にとっても辛い。

     

    ならば我々が社会生活を営む上で、むしろバイアスという歪みは必要な存在なのかもしれないと感じるのである。

    私達は、自分の身に起こる様々な苦難をありのまま「意味のない不幸」と捉えるには、あまりに弱すぎる。

    ○○だったから、こうなったのかなー。

    そう感じる事で、現実を、意味のない不幸を上手く歪めていく事で、生きる事が出来るのではないだろうか。

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