物事は結局「一度経験する」方が役立つ理由

2017.02.04 Saturday

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    ブログにしてから初記事。

    最初は丁寧語で書いてたが、やはり合わないのでいつもの調に戻した。

     

    以前は人に聞くくらいしか手段はなかった、今はネットで調べてしまえばいくらでも出てくる『体験談』。

    Amazonのレビューだとかも含め、自分が経験していない事を、すでに経験した人から又聞き出来る機会が多くなった。

     

     

    • 「体験談」という便利そうな情報

     

    体験談を書くという事に、書く側は色んな意味を持って書いている。

    自分のような体験をしようorするな、とにかくお喋りのネタ、定期更新でアクセス増etc。

    一方、体験談を探す側というのは、自分が体験していない事が、実際はどんな事なのかを聞きたいだけ。

    商品のレビューなら、自分が持っていないアイテムの体験を文章で感じる事が出来る。

    就職やアルバイトをする人なら、企業やその業種に関する知識や経験を。

    人生の岐路に立っている人なら、そのどちらを選ぶべきかを知識を総動員して調べるだろう。

     

    何故聞くのかと言えば、それが嫌な体験だったり、無駄な体験だったりする事を避ける為だ。

    誰もが微妙だと思ってるアイテムを買いたくない。これは当然の心理だと言える。

     

    その上で、である。

     

    • やはり人間というのは「一度経験する」方が良い理由

     

    体験談による追体験には、以下2点の問題がある。

     

    1.その体験は自分の体験ではない

     

    体験談を語る人の視点で語られる。つまり、その人の価値観、好み、環境等に強力な影響を受けた話しかない。

    「このエアコンは消費電力が高すぎる」と言った時、その人が住む地域や温度設定は分からない。

    掃除をしていないかもしれない。室外機に異常が見られる可能性は?

    ――と、自分の体験ではないので、自分なら注目するある事実が、全く見えない事が多く潜んでいるのである。

    逆に言えば、この事を理解した上での体験談なら「これが全部ウソかもしれない」の可能性を除けば信頼出来る。

     

    2.体験談は「その物事ひとつ」にしか適用出来ない

     

    先の例で言えば、その商品の消費電力が高いという事実しか分からない。

    もし自分で手に入れたなら、自分で調べるまでもなく、例えばこれくらいの事が半ば強制的に把握される。

     ・エアコン工事の工賃がいくらなのか

     ・購入先では何年保証を購入価格の何%で付けてくれるか

     ・実際の消費電力がどれくらいなのか

     ・その結果から、今の自宅でどの家電と同時に使うとブレーカーが落ちるのか

     ・どのくらいの時間で暖まるor涼しくなる事を体感出来るか

     ・掃除の際に必要な道具は何か

     ……etc

    これらの事が知識になる。「強制的に」というのがミソ。

    上記の事はそれこそネットの海を漂えば大体把握出来るが、自力で収集するのはそこそこ骨が折れる。

     

    • つまり、直接経験する事が大事

     

    ――なんて事は、誰が書かなくても把握してる気もする。

    では何故書くかと言うと、酷い目にあったり無駄な事をしたりしてしまった時、

    「それも経験として吸収出来る」と自分自身を立ち直らせやすいから。

     

    これは実際ウソではない。

    その経験から、これをしてはいけない、こういう時はああするべきだった、という知識が実体験を伴い強制的に叩き込まれるが、

    結果、次回はそうならないように行動する。という事は、意外と避けれている嫌な事態が少なくないという事だ。

    避けに成功して物事が起こらないせいで実感し難いが、実は相当な被害を回避している可能性もある。

     

    レビューなんて例は緩い例で「親は出来るうちに親孝行しておくべき」とか

    「○○という業種はブラック!」とかいった情報は、さぁ果たして本当に必要なのだろうか?

    もちろん、それらが全部悪いモノだとか言う気はない。特に後者の情報は、転職活動中の私も大切にしたい。

    だが一方で、こういう情報に振り回され、結局物事の本質を全く理解出来ないというのは、むしろ損なのではと思う事がある。

     

    結局こういう事は、自分もその目に合って、酷い目に合って、

    「そういえばあの時、あの人がこんな事言ってたなぁ」なんて、思い出す程度のものでいいのかもしれない。

    親孝行出来なかった人が、体験談を見てより沈む必要なんてない。

    ブラック企業で心身を病んだ人が、体験談を見てなんて自分はバカなんだ、なんて思う必要もない。

    そこに体験談があったとしても、それを吸収する必要に迫られたりする事はないし、

    ましてやそれと同じ事をして、同じ気持ちになる事こそ、その人の血や肉となっていくのではないだろうか。

     

    • 後述、バイアスというもの

     

    この考えは、俗に言う「バイアス」であるとも思うのだが、こういった思考の傾きこそ、精神の健康に必要なものだと考えている。

    何でもかんでも、事実をただ事実だけとして捉えるのは、精神を蝕む。そういうのは強い人に任せておくべきだ。

    時に、自分に都合の良い解釈を扱う事も、生きる上では必要な能力である。

     

    バイアスが嫌われるのは、それを事実と信じて他人に強要するからである。

    そんなものは、バイアスでなくても駄目なんだよ。

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